全国の坂本龍馬を探して行脚

人を大切にすること、そして、ツイてる経営者といっぱい知り合いになりたいこと。この2つがミックスされたところにトータル・ライフ・コミュニティーの発想が誕生したのである。
ちょうどそのころ、共済事業をやっているサンシティコープの山中社長と会ったことも大きく影響している。
「女性を組織化するには、共済が最適なんだよ。共済組合をつくれば、女性が組織化できるし、消費者としてのデータベースも集められるからね」
そういう話を山中社長から聞いた山口恭一は、女性に関するデータベースを集めれば、経営者たちが興味をもって集まる。ただたんに経営者の集まりを作るといっても、人は集まらないだろうけれど、共済をやって、女性のデータベースを集めれば、経営者たちは、そのデータを欲しがって集まってくるに違いない。そう考えたのであった。
女性の組織化、共済ビジネス、情報、コミュニケーション……。そんな漠然としたものの集まりが山口恭一の頭のなかで、ぱっとひとつに結びついた瞬間である。
思いたったら、すぐに行動に移してしまうのが山口恭一のタチである。彼は、周囲の誰かれとなく、構想を話し、成功の感触を得た。
昭和60年になって、ある消費者グループの女性たちの意見を聞いてみると、共済には消極的な意見が多かった。そこで、やはり異業種交流団体であることを、前面に押し出したほうがいいと考えるようになった。トータル、ライフ・コミュニティーという横文字の名前は、その段階で決定し、まずは女性組織化に関するセミナーや勉強会からスタートしたのである。
異業種交流会について考えると、山口恭一は、どんどん夢が膨らんでいった。北海道から沖縄まで、あるいは世界中の経営者が参加してくれるかもしれないという気持ちになることさえあった。まだ会ってはいないけれど、きっとどこかに坂本竜馬や勝海舟がいるのではないかという気がしてきたのである。それから、山口恭一の全国行脚が始まった。
そのころ、龍角散の藤井康男社長が、「同郷、同窓、同業以外の人脈をもっていない奴はさみしい」と常々口にしているのを知り、自分のやっていることは、正しいと自信を深めたこともあった。
トータル・ライフ・コミュニティーでは、当初、さまざまなセミナーを企画して、全国をまわった。札幌、仙台、盛岡、新潟、東京、静岡、浜松、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島、松山、福岡。一年かけて、全国の主要都市をまわったのである。
「まだ見ぬ坂本竜馬に会いたい」
その気持ちがエネルギーとなって、精力的にトータル・ライフ・コミュニティーの構築に向かっていたのである。正式な会の発足は、昭和62年の6月であった。