「楽しい情報」がいいに決まっている

しかし他人を楽しませているからといって、山口恭一自身が楽しんでいないかといえば、けっしてそんなことはない。彼は、十分に楽しんでいるし、仮にそうでなくとも、楽しんでいるような演出だけは怠らずに暮らしている。
そして、じつは、「楽しい」というのも、情報にとっての重要なキーワードなのではないだろうか。
いまの世の中、情報は、社会に満ち満ちている。
儲け話だって、会社を経営していれば、しょっちゅうおいしそうな話が持ち込まれるだろう。こちらからあえて求めなくとも、情報はしょっちゅう飛び込んでくる。
しかし、そんな多量な情報のなかから、人はすべてを信頼するのではない。
ある情報に関しては、未確認だということではねのけるだろう。
また、ある情報に関しては、持ち込んできた人間が信頼できないというのではねつけるだろう。
人は、自分にふりかかってくる多量の情報を、知らずしらずのうちに取捨選択して活用しているのである。
では、その選択は、いったいどのようにして行われるのだろうか。
これは、非常に難しい問題である。その人その人の個性や環境によっても大いに違うし、なにに情報をいかすかによっても、ずいぶん選択の基準は違ってくるだろう。
しかし、一般的にいって、人は、悲観的な情報よりも、楽観的な情報を信用したくなるのではないか。
あるいは、同じデータであっても、それを悲観的に告げる人よりも、楽観的に伝える人を好きになるのではないだろうか。
これは、情報の質というよりは、情報を伝える人間のパーソナリティの問題である。同じ情報であっても、それを伝える人間のキャラクターによって、悲観的にもなれば、楽観的にもなる。
そして、できれば、人間は、楽しい情報を得たいと思っているのではないだろうか。
悲観的な情報よりも、楽観的な情報を得たいと思っているのではないだろうか。
もちろん、いくら楽観的楽観的といったって、客観性を喪失してしまって、不可能なことを可能だなどといいくるめるようなのは困るが、客観性を失わない範囲であれば、楽しいほうがいいに決まっている。
山口恭一が仮に情報のネットワーク化のなかで成功しているとすれば、その理由は、このあたりにあるような気がしてならない。
彼が情報をいかに魅力的に楽しく演出しているか。
それは、次回で、具体的にしていきたい。