会社は自分のものだが、自分のものではない

若林は、よく口癖のようにいう。
「会社は自分のものだが、自分たちの会社ではない」
この言葉には、彼のどんな思いが込められているのだろうか。
若林はいう。
「社長は責任者だから、責任は自分のもの。それだけいろんなことをやらなくちゃならない。しかし、会社そのものは、みんなのもの。社員一人ひとりのものなんです。こう考えていかないと、会社は大きく育っていかない」
彼がこういうのは、実家の老舗的な経営を常に見続けてきたからだろう。実家の印刷会社は、社員数十数名。経営者である父親は、あまりよその人間にはいってもらいたくなかったらしく、親類や家族で、社内を埋めようとした。いわば、会社の私物化あるが、これはさして非難するにはあたらない。小さな同族会社では、しばしば見られる傾向だ。いや、個人経営的な企業ならば、こちらのほうが普通だといってもいいだろう。しかし、厳しいビジネス社会にあって、これではやはり限界がある。一族だけが決定権をにぎっていたのでは、社員がのびのびと仕事ができなくなってしまう。となれば、当然、ビジネスも広がっていかない。
逆に、社員の間で、「会社が自分のものだ」という意識が芽生えれば、社員が率先して働くようになる。仕事も、安心して、任せられるようになってくる。だから、若林は、「いい意味でのワンマンでありたい」という。「いい意味のワンマン社長」とは、いったいどういう存在なのか。
「結局ね、最後に残るのは、社員の給料をアップさせてやりたいという気持ちだけなんですよ。自分はもうこれ以上いらない。これ以上稼ぐと馬鹿になってしまうから、社員の給料を上げて、みんなの夢を実現させてあげたいんです。そのためには、会社も上場しなければならないかもしれないけれど、それ以前にもやることはいっばいある。普通の会社の発想というのは、『会社はこれこれだから、お前らついて来い』というものですが、それよりも、むしろ、みんなの夢を結合する方向にもっていきたい。上場するにしても、社内の機運がその方向に高まってこなければ、いくらトップが音頭をとってもだめなんです。その夢の固まりのなかにあって、社長というのは、いい意味での抵抗役でなければならない。いい意味でのワンマンぶりを発揮しならないと思う。しかし、その反面、社員に雇われているサラリーマン社長だという側面も持っている。社員全体のことを考える立場ですね。このワンマンとサラリーマンとの兼ね合いが問題だと思うんです。まあ、わたしもこれまでは、ワンマンでやってきたんですが、これからは、サラリーマン社長とのバランスを考えながらやっていきたい。そうでなければ、これからの発展は望めません」
もちろん、「いい意味」なのだから、経営を投げ出してしまうということではけっしてない。若林のことばを借りれば、「決定権はもたないが、拒否権はもっ」ということになる。
若林のところに業者がやってきても、彼は、
「俺には決定権はないからね、担当者にきいてよ」
とはっきりいうという。すでに、自分ひとりの力では、どうにもならないところにまで、会社が発展してきたということなのだろう。
若林は、あと3、4年のうちに、会社を日本海側でナンバーワンにするという。いや、「ならなくてはならない」と、ほとんど悲願のように考えている。そして、あと20年、60歳までには、日本中で認められる会社になりたい、という。
もっとも、謙虚な彼は、目標の達成は8割でいい、という。そのために、逆に日標を2割アップしているから、ちょうどつじつまが合うというのである。
しかし、そんな彼の控え目な戦略でも、地方から全国区を撃つという大胆な発想には、掛け値はなさそうだ。