予期せぬ実家全焼に見舞われる

会社を辞めた若林は、教員をしていた母親に頼み込んで、退職金から200万を借りた。これは、父親には内緒の金だったが、事務所を借りたり、営業車を買ったりの準備資金として、どうしても、それだけ必要だったのである。
家の仕事を手伝うとはいっても、彼は、社員になったのではなかった。印刷ブローカーとして、仕事の営業にまわり、自分の家の会社に仕事を発注していたのである。
そのとき、母親は200万円とひきかえにひとつの条件を出した。家の屋号の「わかさ屋」を継げというのである。そうでなければ、金は貸せないという。
カタカナの名前を考えていた若林だったが、「わかさ屋」というのもプロ好みで悪くないという気がした。そこに「美術」をっければ、もっと玄人っぽくなる。それで、「わかさ屋美術印刷」という名前が決定した。
仕事は、主にパンフレットやカタログを中心にした。伝票の印刷では、前の会社と競合してしまうからである。そのうえで、さらに競合をさけるために、若林は以前の得意先には立ち寄らず、まったくの新規開拓で得意先をっかんでいった。
もっとも、独立とはいっても、そこには、やはり3代続いた印刷屋の暖簾があったことは否定できない。若林は、当時を振り返ってこう語る。
「いろいろ考えてみると、親父の信用が大きかったですね。小矢部市では1番古い印刷屋でしたからね」
そうやって、一応は順調なスタートを切ったかに見えた若林の新事業だったが、そこで予期せぬ災害に見舞われた。実家が火事になり、全焼してしまったのである。当然、そこにあった工場も全焼してしまった。いくら営業してまわっても、肝心の仕事をするところがなくなってしまったのである。
そこで、若林は、自分の会社と実家を合併させ、共同して仕事をするようになった。ところが、家族というのは、ときには他人以上に対立するものである。肉親の気安さからか、兄弟や父親との対立が始まってしまった。ほとんどは金銭面でのことだったが、金の問題に関しては、他人より、家族の間のほうがタチが悪い。仕方なく、若林は再び独立を決意するようになった。