地方だからこそ成功した

早くからトータル・ライフ・コミュニティーのメンバーであるわかさ屋美術印刷の若林和芳社長は、
「もし、自分が東京でビジネスを始めていたら、失敗していただろう」
と語る。
わかさ屋美術印刷の本社注石川県。企画・制作などの業務を担当する関連会社が東京、大阪にあるが、本拠地はあくまでも北陸である。関連会社7社、社員総数1000余名、1989年度の総売り上げは58億円に達している。
北陸でも指折りの印刷会社を、ほぼ独力で築きあげた若林が、なぜ、「東京なら失敗していた」と語るのか。本人の言葉に耳を傾けてみたい。
「地方ならば、零細から始められるということなんですよ。地方で商売している人にはしばしば『よく東京の大手と付き合えますね」と驚かれるんですが、私にいわせれば逆です。地方だからこそ、零細であっても大手との取り引きができるんです。東京でうちくらい急成長していれば、ガシャンとつぶされていたでしょう。もちろん、東京で仕事を広げるためには、人脈も必要ですが、それよりも、地方独自の生真面目さをもち続けることが大切だと思うんです。それにね、地方とはいっても石川県は、全国展開を狙うのに、とても都合のいい場所なんです。北陸ではあるが、日本のどこにでも近い。私は、金沢が全国の中心なんじゃないかと思っている。これが、九州や東北のようにどちらかに寄っていると、全国展開は難しかったかもしれない。また、大阪でやっていても、全国展開はできなかったかれない。ところが、金沢なら、それが可能なんです。地域のメリットを最大限に生かしたということでしょうか」
そのメリットを生かして、若林は、北陸の小さな印刷会社を、全国展開可能な企業集団に築きあげた。
若林は、土地の問題でも、地方のほうが有利だという。
「たとえば工場を建てるにしても、東京の真ん中に1000坪2000坪の土地は確保できない。これはもう不可能です。ところが、石川県でならば、高速道路のすぐそばの交通の便のいいところが、坪20万円で手にはいるんです。飛行機をつかえば、東京だって1時間ででられる。私は週日はほとんど東京や大阪で過ごしていますが、土曜日曜は石川県に帰ってくる休日は田舎で命の洗濯をしているんですよ」
たしかに若林のいうとおり、東京への一極集中が進みすぎた結果、すでに東京では、土地を買って新規事業を起こすのは、ほとんど不可能だといってよい。まして、印刷機械のような場所をとるシロモノを、1坪数千万円の土地に設置したところで、採算があうはずがない。地方のパワーが飛び出す土壌はたっぷりあるのである。
さて、このような若林の地方から全国を狙う戦略は、どのようなプロセスで構築されてたのだろうか。しばらくは、彼の足跡をたどってみたい。