定義がむずかしい“情報”というコトバ

情報というコトバ、誰もがわかったつもりで使っているが、案外定義が難しい。 試しに自分なりの“情報”についての定義を考えてみてほしい。いかがだろう。ぴったりくる定義があっただろうか。案外難しいのではないかと思う。
毎日毎日新聞やテレビ、雑誌y膨大な出版物から流れてくるものも情報であれば、営業マンが足を使ってこまめに集めてきたのも情報。近所の奥さんの四方山話で伝えられるにも情報ならば、データサービス会社や広告代理店に高い金を払って得るマーケティングのノウハウも情報である。
しかし、これらの膨大な情報にはどういうふうに接すればいいのか。何を重要視すればいいのか?  “情報”を、垂れ流し的に耳に入ってくるマスコミの独占物や、のべつまくなしに押し寄せてくるデータの集積と考えているようでは、これについての回答は得られない。

現代は情報社会だといわれている。それについての異論を唱える人はほとんどいない。中世が農業社会であり、近代が工業社会であったのと同じ意味で、現代は情報社会なのである。ところが、農業や工業の定義ならば、だれでも簡単にできてしまうのに、情報となるとこれが難しい。
それは、情報という不定形のモノがもつ必然的な宿命であるようだ。この本は、山口恭一を中心とするトータル・ライフ・コミュニティーという異業種交流団体が、情報をどのようにあつかい、利用しているのかを核にして、人脈ネットワークの効率的な構築と運用を考えたものである。まあ“人脈ネットワークの構築と運用”などと書いてしまうといかにもしかつめららしくなってしまうが、なに、そんなたいしたことじゃない。つまりは、有効な情報をもっている人といかに知り合い、いかに付き合っていくか、それを考えていこうというわけだ。
しかし、さきほども書いたように、その基本となる“情報”というコトバがいかにも釈然としない。どう扱っていいのかえさえはっきりしない。これでは、どうにも先に進みにくいので、まずはこのPART1で“情報”について、いささか掘り下げて考えてみたい。
で、とりあえず、トータル・ライフ・コミュニティーの周辺にいる人たちに、“情報”についての考え方を聴いてまわった。 まずは、そこから始めよう。