トータル・ライフ・コミュニティーの付き合いのなかからクライアントが生まれた

さて、そんな若林はなぜトータル・ライフ・コミュニティーに入会したのだろうか。若林が最初にトータル・ライフ・コミュニティーを知ったのは、日経流通新聞の広告だった。
「女性をターゲットにデータを集めよう」
というキャッチフレーズのその広告には、以前からの大得意先で深い結びつきのあった名古屋の三上治の名前もあった。そこで若林は説明会を聞きにでかけたのである。
説明会では、「共済組合をっくって、将来は会員を何十万人も集めて……」という話がもっとも興味をひいたという。
若林が共済組合に興味を持ったのは、現在通信販売を行い、またこれから始めたいと思っているクライアントが多数いたからだ。何の関係もない消費者にDMやアンケートを送っても、反応が返ってくる率はきわめて低い。しかし、共済組合ならば、アンケートを送れば、きちんと反応が返ってくるだろう。もし返ってこなくとも、電話で回答を催促できる立場になる。こうなれば簡単にデータが集められる。そして、このようなデータがあれば、通信販売の取引先にデータを提供して、また、共同で事業が始められる……と考えたのである。このようなデータは、調査会社に依頼して調べてもらうと、何百万、何千万とかかるのものだという。
また、トータル・ライフ・コミュニティーの考え方が、若林自身にとてもぴたりとフィットしたのも、彼に入会を決断させるきっかけとなった。
実際に入会して、山口恭一と会った若林は、彼の印象を次のように語る。
「入ってみて、やはり山口恭一さんの人間性にひかれた。ものごとをプラス発想で考えるでしょ。クヨクヨせずにいい方にいい方にツキを呼んでくれるようなタイプですからね。
付き合っていても、厳しい面もある。相手のためを思って、けっこうずけずけものをいう。ぼくらのような田舎者には、それがありがたいんです。田舎では、物事をはっきりいってくれる人はなかなかいない。東京や大阪で、山口恭一さんにいろいろいわれて恥をかいても、それは結局大きなプラスになって返ってきています」
精神的な面ばかりでなく、具体的なビジネスの部分でも、若林は山口恭一の手を借りている。大阪ガスをはじめとして、何件ものクライアントを紹介してもらっている。もちろん、山口恭一がつけているのである。
若林はいう。
「われわれのような受注産業の場合、仕事は人との付き合いからはいりますよね。製品の品質や納期を守るかどうかなんていう部分は、信頼してもらわなきゃならない。価格競争だけでなく、相手に安心感をあたえないと仕事をもらうのは難しいんです。だから、われわれは、『うちの会社はこれこれこんなところです』と必死に自分を売り込むんです。トータル・ライフ・コミュニティーでの付き合いは、ビジネスよりも、まず人間としての付き合いですよね。だから、そんななかからは、仕事が生まれやすいんです。何件ものクライアントがトータル・ライフ・コミュニティーのなかから生まれています」
しかし、若林はなにも得意先をみつけるために入会したのではない。地方に本社をもつ彼は、やはり、トレンドや情報をつかみたいと思っているのである。そのためには、なんといっても、人脈の広がりがものをいう。
「田舎にいるときは、名刺を1年間に100枚使うなんていうことはなかったですね。でも、トータル・ライフ・コミュニティーに入ってからは月に100枚は使うようになった。それだけ新しい人と会っているわけです。そのうちの、少なくとも半分は、トータル・ライフ・コミュニティーのからみで会った人たちです。1人新しい人に会うと、そこからまた何人もの人が介してもらえる。倍々でどんどんひろがっていくんです。その人たちが、すべて情報をもっているわけですからね。これは大きい」
トータル、ライフ・コミュニティーに入会して、どんどん夢の広がった若林は、将来の展望を次のように語ってくれた。
「名古屋の三上さんとは、以前から付き合いがあったけれど、トータル・ライフ・コミュニティーに入ってから、うちでもプラネッツをやるようになった。これが最終目標の1万8千世帯に広がれば、うちでも月に2億の売り上げが見込めるんですね。それに、共済の会員が何十万人になったら、通信販売はぼくがやろうと思っている。これらのように、ビジネスの芽があれば、すごく大きく育っていくんですね、ここでは、まあ、10年くらいはかかるだろうと思っていますけど。それに、通信販売をするにしても、アイディア会議にかければ、いろいろユニークな意見がもらえるでしょう。これが、ビジネスを、もっともっと大きく育ててくれるんです」
若林にいわせれば、トータル・ライフ・コミュニティーはビジネスを大きく育てていく、培養装置のようなものらしい。

会社は自分のものだが、自分のものではない

若林は、よく口癖のようにいう。
「会社は自分のものだが、自分たちの会社ではない」
この言葉には、彼のどんな思いが込められているのだろうか。
若林はいう。
「社長は責任者だから、責任は自分のもの。それだけいろんなことをやらなくちゃならない。しかし、会社そのものは、みんなのもの。社員一人ひとりのものなんです。こう考えていかないと、会社は大きく育っていかない」
彼がこういうのは、実家の老舗的な経営を常に見続けてきたからだろう。実家の印刷会社は、社員数十数名。経営者である父親は、あまりよその人間にはいってもらいたくなかったらしく、親類や家族で、社内を埋めようとした。いわば、会社の私物化あるが、これはさして非難するにはあたらない。小さな同族会社では、しばしば見られる傾向だ。いや、個人経営的な企業ならば、こちらのほうが普通だといってもいいだろう。しかし、厳しいビジネス社会にあって、これではやはり限界がある。一族だけが決定権をにぎっていたのでは、社員がのびのびと仕事ができなくなってしまう。となれば、当然、ビジネスも広がっていかない。
逆に、社員の間で、「会社が自分のものだ」という意識が芽生えれば、社員が率先して働くようになる。仕事も、安心して、任せられるようになってくる。だから、若林は、「いい意味でのワンマンでありたい」という。「いい意味のワンマン社長」とは、いったいどういう存在なのか。
「結局ね、最後に残るのは、社員の給料をアップさせてやりたいという気持ちだけなんですよ。自分はもうこれ以上いらない。これ以上稼ぐと馬鹿になってしまうから、社員の給料を上げて、みんなの夢を実現させてあげたいんです。そのためには、会社も上場しなければならないかもしれないけれど、それ以前にもやることはいっばいある。普通の会社の発想というのは、『会社はこれこれだから、お前らついて来い』というものですが、それよりも、むしろ、みんなの夢を結合する方向にもっていきたい。上場するにしても、社内の機運がその方向に高まってこなければ、いくらトップが音頭をとってもだめなんです。その夢の固まりのなかにあって、社長というのは、いい意味での抵抗役でなければならない。いい意味でのワンマンぶりを発揮しならないと思う。しかし、その反面、社員に雇われているサラリーマン社長だという側面も持っている。社員全体のことを考える立場ですね。このワンマンとサラリーマンとの兼ね合いが問題だと思うんです。まあ、わたしもこれまでは、ワンマンでやってきたんですが、これからは、サラリーマン社長とのバランスを考えながらやっていきたい。そうでなければ、これからの発展は望めません」
もちろん、「いい意味」なのだから、経営を投げ出してしまうということではけっしてない。若林のことばを借りれば、「決定権はもたないが、拒否権はもっ」ということになる。
若林のところに業者がやってきても、彼は、
「俺には決定権はないからね、担当者にきいてよ」
とはっきりいうという。すでに、自分ひとりの力では、どうにもならないところにまで、会社が発展してきたということなのだろう。
若林は、あと3、4年のうちに、会社を日本海側でナンバーワンにするという。いや、「ならなくてはならない」と、ほとんど悲願のように考えている。そして、あと20年、60歳までには、日本中で認められる会社になりたい、という。
もっとも、謙虚な彼は、目標の達成は8割でいい、という。そのために、逆に日標を2割アップしているから、ちょうどつじつまが合うというのである。
しかし、そんな彼の控え目な戦略でも、地方から全国区を撃つという大胆な発想には、掛け値はなさそうだ。